聖路加国際病院の名誉院長で、文化勲章受章者の日野原重明さんが2017年7月18日、呼吸不全のため東京都内の自宅で逝去しました。105歳でした。
日野原重明さんは、生活習慣病という呼び方を定着させて予防医療に尽力したり、患者の人格や意見を尊重する医療の推進に務めた方でした。
また、自立して生きる新しい老人の姿を「新老人」と名づけ、75歳以上の自立した老人が集う、「新老人の会」も設立。自身も100歳を超えてなお医師として活躍しました。
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医療の発展に貢献し、命の尊さを伝え続けた日野原重明さん
1911年に山口県で生まれた日野原重明さんは、1937年に京都帝国大医学部を卒業。1941年に内科医として聖路加国際病院に勤務しました。1992年には同病院の院長、1996年には理事長に就任。2005年には文化勲章を受章しました。
この間、1951年から1年間留学したアメリカ・エモリー大学医学部で、患者の人格や意見を尊重する医療「全人医療」を学び、帰国後は特に看護師の育成に注力。地域住民やボランティア教育にも務めました。
また、1954年には、病気の早期発見・治療を実現するため、民間病院としては初めて人間ドックを開設しました。
このほかにも、終末期医療の充実にも取り組み、日本初の独立型ホスピスを設立したり、「いのちの授業」を通じて、小中学生に命の尊さを伝えていました。
2001年に出版した『生きかた上手』でミリオンセラーを達成。絵本『葉っぱのフレディ』のミュージカルの脚本を執筆するなど、多彩な才能を発揮しました。
医師会や政界からも、日野原重明さんへの追悼のコメントが
日野原重明さんが名誉院長を務める、聖路加国際病院の福井次矢院長は「日野原先生は長年にわたり、わが国の医療の向上に多大な貢献をされ、同時に国民の健康増進や生き方についての提言など幅広い功績を残されました。われわれにとっても日野原先生を失った悲しみと喪失感はどんな言葉でも言い表すことができません。魂の平穏を謹んでお祈り申し上げます」と、旅立ちを惜しみました。
また、菅義偉官房長官は閣議後の記者会見で、「日野原氏は早くから予防医学の重要性に着目し、現在国民に定着している『生活習慣病』という言葉を提唱するなど、まさに現代の日本医療の礎を築き上げてきた一人であると考えている」と、功績を称えました。
続けて、「地下鉄サリン事件の際には、聖路加国際病院の院長として、事件後に直ちに被害者の無制限受け入れを実施し、被害者治療の拠点として事件の被害拡大防止に大きな貢献をされるなどすばらしい偉大な功績をあげました。100歳を超えてもなお生涯現役として医学界の発展に尽くされた日野原氏に対して、心から敬意と感謝を表するとともにご冥福をお祈り申し上げます」と、追悼の意を表しました。
日野原重明さんは1970年、赤軍派にハイジャックされた日航機『よど号』に乗客として乗っていました。日野原さんの訃報に、赤軍派の若林盛亮容疑者は、産経新聞の取材に対して次のように答えています。
「われわれの思い上がりを気付かせてくれた恩人。できれば会って直接、おわびしたかった」
日野原重明さんの葬儀は7月29日に青山葬儀所で
日野原重明さんの葬儀は7月29日に、青山葬儀所で行われます。葬儀のスタイルは、キリスト教式で行われる予定です。
また、葬儀後は学校法人聖路加国際大学の旧館2階、聖ルカ礼拝堂に献花会場が設けられます。期間は7月31日から8月4日の予定です。
日野原重明さんの次男・直明さんによると、2017年3月から、本人の希望で自宅療養を続け、延命措置も行わなかったそうです。終末期医療に取り組み続けた、日野原重明さんらしい最期ともいえます。
日野原重明さん、心よりご冥福をお祈りいたします。