2017年8月で73歳を迎えた、みのもんたさん。最愛の奥様とのお別れを経て、残された家族のことを考え、自身の持ち物を整理したり、葬儀についての考えも伝えているそうです。終活に取り組み始めて5年になるという、みのもんたさんに終活に対する考え方や、心構えを聞きました(以下、敬称略)。
文・小澤 顕治(終活メディア編集部)
写真・天川 大史(終活メディア編集部)
葬儀の疑問をお葬式のプロに聞いてみませんか?
- NHK「ガイアの夜明け」など多数テレビで紹介
- 無印良品、星野リゾートに並び、葬儀業界で初めてハイサービス日本300選を受賞
終活に取り組むきっかけは、奥様や先輩との別れがあったから
――終活を考えるようになったのはいつ頃からですか?
みの 5年前(2012年)に、女房に先立たれてからかなあ。独りになっちゃったし。誰が自分ことを見送ってくれるのかなって思うようになってね。そんなこんなで、諸先輩方も旅立っていくし。葬儀に行くと、僕も時間の問題だなあって考えるようになりますよね。
――奥様が旅立たれた頃と今とでは、気持ちの変化はありますか?
みの 別れて5年経って慣れたかというと、そうでもないよね。女房とは50年近く一緒に暮らしていたんだから。空虚感というかね、なんとも言えない気持ちになることがありますよ。
――亡くなった先輩の中で、特に印象的な方はどなたですか?
みの しゃべりの先輩だった大橋巨泉さん、愛川欽也さん、永六輔さん。「おいおいおいっ!」て思うよねえ。同じ仕事を何年もしてきた先輩方が、ぱたっぱたっと旅立っていくんだから。
――そうしたきっかけがあって、終活に取り組み始めて、どう生きるかを考えるようになったのですか?
みの どう生きるかということよりも、残務整理として終活を考えるようになったね。
――どんなものを整理しているんですか?
みの まずは写真ね。膨大な量の写真があるんだよ。あとは自分が出演した番組を録画したビデオ。テレビに出た初めの頃から録画しているから、棚に入っているのは全部ビデオだよ。今となっちゃ、見直すことはほとんどないしね。
――終活に取り組んでいる方でよく聞くのは、手紙の整理に困るといった話ですが、みのさんはいかがでしょうか?
みの いろんな方から頂いた手紙は、ずいぶんたくさんあるね。捨てるに捨てられないものが山のようにある。今はそれを一通ずつ読み返しながら、処理しているんですけどね。残された家族はたまんないよねえ。写真だの、ビデオだの、手紙だの、ハガキだのさあ。残しておいたら迷惑だろうな、子供たちは。自分で処理するしかないよね。
――整理は、親としての義務といったものでしょうか?
みの そうだねえ。子供たちが所帯を持って孫ができるでしょ。そうすると、孫たちとの写真がたくさんあるわけよ。この写真を返すわけにもいかないからね。これはお前の孫の写真だからって。自分で処理するしかないんだけど、辛いですよ。写真を見ていると、その時の記憶がよみがえってくるから、なかなか進まないよね。少しずつやっていくしかないんだけど。
――けっして前向きに取り組んでいるわけではないんですね。
みの 前向きとか後ろ向きとかではなくて、自分の責任でやっておくことですよ。子供たちに迷惑をかけたくないからね。
家族葬の後にお別れ会を。司会進行は自身の声で
――ご自身の葬儀についてもお考えですか?
みの 女房の葬儀は大変でしたからねえ。鎌倉山(神奈川県鎌倉市)にある自宅に、大勢の方に参列いただいたんですけど、こんなに大変だったら、葬儀はしないほうがいいのかなあと思うようになりましたね。僕は家族葬でいいと考えているんです。身内だけで見送るなら、迷惑をかけないから。
――みのさんの考えは、もう家族に伝えていますか?
みの 少しずつですね。「おやじのことだから、全部段取りしているんじゃないの」と思ってるんじゃないですか。
――家族と意見の食い違いはありませんか?
みの ないですね。僕は僕の道を歩いてきたし、子供たちは子供たちの道を歩いてきたし。お互いの意見を尊重しているというか。家族ごとにいろんな考えがあるんでしょうけど、いろんな葬儀に参列すると、見送る家族が満足している葬儀が多いように感じるんですよね。
――家族葬の後に、家族以外の方とお別れをする場は考えていますか?
みの そうですね。僕の司会で進行するお別れの会にしたいですね。あとは、お墓のある菩提寺を教えて、会いに来てくれたらいいなあと。菩提寺は山の中にあって、四季折々の風景もきれいですから。
仕事ではすべてやり切ったから、今は自然体でいることが一番
――終活に取り組む中で、今だからこそやっておきたいということはありますか?
みの もう仕事はやりつくしましたからね。僕は1週間で最も多く生番組に出演する司会者としてギネス世界記録にも載りました。記録に残るくらいしゃべり続けたから、今はその記録をいつ、どんな人が破るのかなあと、楽しみにしています。
――ご自身で破りたいとは思いませんか?
もう体力的に無理ですよ。今は寄る年波には勝てない。気力も続かない。もう若々しく見せる必要もないなあと。
――今、みのさんが仕事を続けるモチベーションは何ですか?
みの 自分に求められていることは何か、ということですね。だから、仕事を選ばせてもらっていますね。仕事をお断りすることもあります。
――断る仕事とは、どんな内容なのでしょうか?
みの 70歳を過ぎている自分が、無理をしているイメージがあるものですね。共演者の中には、髪の毛を黒く染めて、顔にどうらんを塗って若々しく見せている方もいますけど、辛いだろうなあと思いますよね。若々しく見せる必要なんてさらさらないのに。女性がいつまでも若々しくいたいと思うのは、男性から見たら素晴らしいなとは思いますけど。
――自然体が一番だということですか?
みの そこですよ! 70歳を過ぎたあたりからかな、分かってきたのが。健康でいることで若々しく見えるのと、取り繕って若く見えるのとでは違うからね。加山雄三さんのように、自然体でいることで若々しいのは、気持ちがいいよね。みんな、年相応のオシャレをすればいいのに、顔をひっぱったり、のばしちゃったりしてさ、オイオイオイオイって思うよね(笑)。
――みのさんが健康のためにやっていることはありますか?
みの ランニングマシンで走ったり、酸素カプセルに入ったり。あとは、毎晩のようにお酒を飲んでますね。これが僕の健康法。健康診断には毎月行っているけど、先生からは、毎晩本当によく飲むよねえって驚かれますよ。
――若い頃から、酒量は変わりませんか?
みの そうね。なんてったって年季が違うよ。そのくらいかなあ、健康維持でやっていることは。女性関係も縁遠くなっちゃったしね(笑)。おかげで、若い女性と一緒に歩いたりして、写真を撮られることもなくなったけど。孫から「ジイジ、ダメだよ、あんな若い人と歩いてちゃ」って言われたら、たまんないもんね(笑)。
女房とのお別れもやりきったから思い残すことはない
――今はもう思い残すこともありませんか?
みの 後悔することはたくさんありますけど、後悔したって詮方ないものね。そのドアをノックする前に気が付けばいいのに、なぜノックしちゃったのかな、とかね。しちゃったんだから仕方がないよねえ。やれるだけのことはやったなという充実感はありますよ。女房とは最後に1年間ゆっくり過ごすことができましたし。
――中でも一番の思い出は何ですか?
みの 女房はすべてを知っておきたいというタイプだったので、ガンの宣告も進行状態も、医師から全部伝えてもらってましたね。いよいよっていう時に、女房が前から欲しがっていた絵がニューヨークの画廊で見つかったという話を聞いて、どうしても行きたいって言いだして。医師も「1週間だけならいいよ」って言ってくれて、最後の海外旅行に行ったことですかね。
――ニューヨークでは、奥様とどのように過ごしたのですか?
みの 女房を車いすに乗せて、毎日毎日その画廊に通いましたねえ。女房は買おうかどうしようかずっと迷っていたので、「買えば」って言っても、「どうしようか、どうしようか」と。やっと踏ん切りがついたみたいで買ったんですけど、その日の夜にレストランで倒れたんです。見ていたメニューをパタッと落として。スーッと眠るようにね。急いで部屋に戻って、飛行機のチケットを取って日本に帰ったんですけど、女房は意識が戻らないまんま、病院で亡くなりました。思い残すことはないなあ。女房もそうだと思います。その絵は今も、女房が「ここに飾るんだ」っていう場所に飾ってあります。
――最愛のパートナーとお別れした方へのアドバイスはありますか?
みの 僕は再婚することを勧めますよ。知り合いには、高齢になって結婚した人もいますし。じゃあ、どうして僕がしないかっていうと、僕の場合はなんていうかなぁ……。当時は誰にも言いませんでしたけど、女房がガンで入院してから、病院から仕事場に通っていました。最後の1年間は『朝ズバッ!』の放送が終わったら病室に行って新聞を読んで。病院も協力してくれたから誰も知らなかったんじゃないかな。女房が亡くなったと伝えたときは、みんな驚いていたし。そんな1年間を過ごして、きちっと終活して、女房のもとに行くわけだから、再婚する必要はないなと。
――奥様に再会したら、どんなことを話しますか?
みの 女房に会ったら、まず正座してね、別れてから5年間分、空から見られていたことをいろいろ言われるだけ言われますよ。「あなた、こんなことしたでしょ」「格好いいこと言ってたけど、あんなことしてたでしょ」って。もう覚悟していますよ!