作曲家で歌手の平尾昌晃さんが、2017年7月21日、東京都内の病院で、肺炎のため逝去しました。79歳でした。
平尾昌晃さんはもともと肺を患っており、医師から「3年間は歌わないように」と告げられ、歌手としての活動を自粛していた経緯があります。
所属事務所によると、2017年7月13日に体調を崩し、東京都内の病院で診察を受けていたそうです。その数日後に入院し、21日には容体が急変。家族やスタッフが見守る中、息を引き取りました。
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歌手として、作曲家として、次々とヒット曲を生み出した平尾昌晃さん
平尾昌晃さんは、慶応義塾高校を中退した後、ウエスタンバンド『チャック・ワゴン・ボーイズ』で音楽活動をスタート。アメリカ軍のキャンプで腕を磨いていました。
1957年に、石原裕次郎さんが主演した『嵐を呼ぶ男』に出演。1958年には『リトル・ダーリン』でソロ・デビュー。『星は何でも知っている』や『ミヨチャン』のヒット曲を世に送り出し、ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんとともに「ロカビリー三人男」として活躍しました。
1966年には作曲家に転身。布施明さんの『霧の摩周湖』、梓みちよさんの『渚のセニョリーナ』が、日本レコード大賞作曲賞を受賞しました。
1968年に結核で倒れ、約1年間の闘病生活の後、音楽活動を再開。五木ひろしさんの『よこはまたそがれ』、小柳ルミ子さんの『わたしの城下町』、『瀬戸の花嫁』、アグネス・チャンさんの『草原の輝き』、中条きよしさんの『うそ』、梓みちよさん『二人でお酒を』など、手掛けた曲を次々とヒットさせました。
また、アニメ『銀河鉄道999』や『宇宙海賊キャプテンハーロック』の主題歌など、幅広いジャンルの曲を手掛けました。
1974年には平尾昌晃歌謡教室(現平尾昌晃ミュージックスクール)を開校。狩人、川﨑麻世さん、松田聖子さん、中村あゆみさん、森口博子さん、石野真子さん、倖田來未さん、後藤真希さんらを輩出。生徒だった畑中葉子さんとは、『カナダからの手紙』もデュエットし、新たなヒット曲を生み出しました。
1979年には、NHKの音楽番組『レッツゴー・ヤング』の司会を担当するなど、新人歌手の発掘にも力を尽くしていました。
楽曲を提供した小柳ルミ子さんや、教え子の森口博子さんらからお悔やみのコメントが
平尾昌晃さんが作曲した『瀬戸の花嫁』を歌った小柳ルミ子さんは、「お身体がすぐれないということは聞いていました。あまりにもショックで、今は言葉が見つかりません。平尾先生とのたくさんの思い出がよみがえります。ただただ、ご冥福をお祈りいたします」と、惜別の想いを語っています。
ミッキー・カーチスさんは、自身のツイッターで「今日はおどろいた! 平尾のまーちゃんが亡くなった!! 16才からの付き合いで本当に残念! 仲よかったからなー」と、平尾昌晃さんとの思い出をつづりました。
歌手の森口博子さんは、「突然の訃報、信じたくありません。言葉が見つかりません。森口博子の名付け親でもある平尾先生との出会いは15歳。スクールに通い、デビュー後も愛情いっぱい支えて頂きました。先生がいてくださったからデビューできました。心から感謝の気持ちでいっぱいです。ご冥福をお祈りします」と、惜別の想いを語っています。
平尾昌晃さんの葬儀は家族葬で。お別れ会は日を改めて開催
お通夜は2017年7月28日に、告別式は翌29日に、家族や親族だけが参列する家族葬で行われます。
平尾昌晃さんの家族は、派手なことが好きだった平尾さんを送る衣装として、お気に入りだったピカピカの紫のジャケットとピンクのネクタイを選んだそうです
従来の葬儀は、故人を送る衣装として白装束が選ばれていました。しかし、最近では、故人らしい葬儀にしたいという家族の想いから、故人が生前に気に入っていた衣装を選ばれる傾向にあります。
平尾昌晃さんを多くの方で偲ぶお別れ会は、日を改めて行われる予定です。
平尾昌晃さん、心よりご冥福をお祈りいたします。