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テントさんがツチノコ芸人と呼ばれた理由
吉本興業所属のお笑い芸人・テント(本名・三浦得生=みうら・とくお)さんが、2016年9月27日、大阪府大阪市天王寺区の交差点で車にはねられ、亡くなりました。65歳でした。事故直後に心肺停止の状態になり、救急車ですぐに病院に運ばれましたが、再び目を覚ますことはありませんでした。
ところで、皆さんはテントさんをご存知ですか? 知っているという方は少数派ではないでしょうか?
というのも、ここ最近のテントさんのメディアへの露出が極端に少なく、一部のファンからは“ツチノコ芸人”というあだ名で呼ばれていました。
同業者である芸人仲間からは“天才”と評された、お笑い芸人・テントさんとは、一体どのような方なのでしょうか?
テントさんは、1951年5月16日に大阪府で生まれ、元タレントの上岡龍太郎さんに弟子入り。1981年に漫才コンビ「大空テント・幸つくる」としてデビューしました。
結成まもなく「第12回NHK上方漫才コンテスト」で優秀賞を受賞し、一躍脚光を浴びました。その後コンビは解散。ピン芸人として活動を始めますが、その独特な芸風が徐々に口コミで広まり、1990年代後半頃から再び注目を集めるようになりました。
そこから、メディアへの露出は少ないながらも、テレビやライブで芸を披露し、芸人として活躍していきます。2015年5月には芸能生活45周年を記念して、3年ぶりの独演会を開催するなど、精力的に活動を続けていました。
テントさんが“天才”と評された珍芸「人間パチンコ」とは?
テントさんは、誰にも思いつかないような、独特の世界観から繰り出される珍芸で注目を集めました。
得意ネタには、全身でパチンコやスロットを表現した「人間パチンコ」というものがあります。このネタは、腕を回転させながら指を立てて数字を出していくというものです。
また、手を蜘蛛に見立てて、左右の手で闘わせる「蜘蛛の決闘」というネタもあります。
独特の芸風で、一部のファンからはカルト的な人気を誇り、師匠の上岡龍太郎さんからは「出てくるのが10年早かった」と称賛されたそうです。
歌ネタも得意としていたテントさんは、歌手としてシングル「わらびもち」、アルバム「デカメロン」を発売。上岡龍太郎さんの実子・小林聖太郎さんが監督を務めた映画作品に、俳優として出演を果たしました。
2002年には、NTT西日本のCMで女優・天海祐希さんと共演するなど、幅広い分野でその才能を発揮しました。
孤高の天才芸人の訃報に、多くの芸人仲間から悼む声が
テントさんの訃報を受けて、師匠である元タレントの上岡龍太郎さんは、
「あまりに突然のできごとで、衝撃的でぼうぜん自失としております。さすがの私も言葉がございません。最愛の弟子をなくした気持ちをくみ取っていただけるとありがたいです」(日刊スポーツより)
と、愛弟子の死をまだ受け入れられていない様子だったようです。
また、テントさんと同学年で、アマチュア時代から付き合いがあるオール巨人さんは
「残念でびっくり。年齢が一緒ですので…。筋が通っていてブレない方。不思議な芸風の方でした」(デイリースポーツより)
と、故人を偲びました。
弔問に訪れたタレントの坂東英二さんは
「上岡さんの下で一緒に修行した。(テントさんは)考えていることが分からなかったが、妥協しないところが彼の魅力。名古屋のぼくの家に、よく泊まりに来ていたんです」(デイリースポーツ)
と、当時のエピソードを明かしました。
テントさんのファンとして知られるイラストレーター・みうらじゅんさんは
「エキセントリックな芸風とは違い、ご本人はとてもナイーヴで天才肌だった。悔やまれてなりません。ご冥福をお祈りいたします」(夕刊フジ)
と、故人を偲びました。
芸人の東野幸治さんは自身のツイッターで
「吉本の先輩テントさんがお亡くなりになりました。残念です。20年ぐらい前にある番組でテントさんの人間パチンコが『放送内でスリーセブン(7が3つ)揃うか?』という企画をしたことがありました。何度もギリギリのところで778とか776にはなりますが777は揃いませんでした。爆笑しました」
とつぶやき、先輩芸人への敬意を示しました。
他にも、小林聖太郎さん、陣内智則さん、なだぎ武さんなど、テントさんのことを尊敬してやまない後輩からも、SNSなどを通してお悔やみの言葉が送られています。
人の死は突然やってくる
2015年5月に、芸能生活45周年を記念して、3年ぶりの独演会「テント64」を大阪・トリイホールで開催。これからの活躍が期待される中での訃報でした。
人の死は突然やってくると言いますが、特に事故による死は予測ができません。テントさんも、周囲の方も、まさかこんなに突然、死を迎えることになるとは考えもしなかったのではないでしょうか。
2016年9月29日に大阪府八尾市内のホールで営まれたお通夜には、関係者ら約250人が参列しました。葬儀・告別式は、翌30日に同所で行われました。
心よりご冥福をお祈り致します。