昭和を代表する大女優・野際陽子さんが2017年6月13日、肺腺がんで逝去されました。81歳でした。
野際さんは立教大学を卒業後、1958年にアナウンサーとしてNHKに入局しました。1962年に退局してフリーアナウンサーとなった後、『赤いダイヤ』で女優としてデビュー。『鬼平犯科帳』や『浅見光彦』シリーズなど数々の作品に出演し、2007年には橋田賞を受賞しました。
また、野際陽子さんは、『キイハンター』に出演したのがきっかけとなり、1973年にアクション俳優の千葉真一さんと結婚しています。
2014年に肺がんを患った野際陽子さん。早期発見ということもあり手術は成功したものの、2015年4月に再発。退院時には、酸素吸入器を携行していたほどの容態だったそうです。
野際陽子さんの最後の出演作となったのは、2017年に制作されているテレビ朝日のドラマ『やすらぎの郷』です。撮影中は弱音を吐くことがなく、最後の撮影では、鼻にチューブを付けて現場入りし、看護師が見守る中、完璧な演技を見せたそうです。野際さんの女優魂を感じさせるエピソードです。
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野際陽子さんが終活として、所属事務所のスタッフを移籍
芸能事務所の関係者によると、2016年の秋ごろから野際陽子さんの所属事務所の社長が、所属タレントの移籍を進めていたそうです。野際さんが仕事をできなくなると、事務所を閉めざるを得ないという理由からです。
野際さんの娘の真瀬樹里さんが、大手芸能事務所・レプロエンタテインメントに移籍するなど、野際さんの事務所のホームページには、次々と移籍の情報がアップされました。
事務所の所属タレントを移籍させることは、野際陽子さんにとってひとつの終活だったのかもしれません。
野際陽子さんの共演者から、続々と追悼のコメント
俳優の佐野史郎さんは6月15日、ブログで野際さんへの思いをつづっています。野際さんと佐野さんは、1992年にTBSテレビで放送されたドラマ『ずっとあなたが好きだった』で共演した仲です。
「野際さん…ていうか、野際ママ。第二のお母さん。四半世紀前…いや、もうちょっと前にドラマで共演させていただいてから、何本もの思い出いっぱいの作品でご一緒させていただいた」と思い出を振り返っています。
ブログでは最後に、「そういや、ドラマの中とはいえ、人生で最後にキスしたのが僕でゴメンなさい。野際陽子さん、本当にありがとうございました。安らかにお眠りください」と追悼の意を表しています。
日本テレビのドラマ『TRICK(トリック)』で野際さんと共演した仲間由紀恵さんも、事務所を通じて追悼のコメントを発表しました。
「『TRICK』で母娘として14年間ご一緒させて頂いた野際さん、最近もドラマで元気にお芝居されている姿を拝見していたので、突然の訃報に、ただただ驚き、悲しい気持ちで胸がいっぱいです」と、惜別の思いを伝えています。
同じく『TRICK』で共演した阿部寛も事務所を通じてコメントを発表しました。
「もうご一緒することができないと思うと凄く淋しいです。年賀状も毎年出し合っていたのですが今年は…。未だこれから何本もご一緒できると勝手に思っていたのですが。本当に残念です」と、野際さんの逝去を悼んでいます。
1994年に野際陽子さんと離婚した千葉真一さんは、娘の真瀬樹里さんから野際さんの逝去を聞いたとき、「俺は直接見るまで信じない」といい、葬儀にも参列しなかったそうです。
野際陽子さんの葬儀は家族葬。お別れ会の予定は
野際陽子さんの葬儀は2017年6月15日に、家族や親族だけで執り行われました。野際さんの葬儀のようなスタイルは、家族葬と呼ばれています。
家族葬とは、家族や親族、親しい友人だけが参列する葬儀のスタイルです。参列する方は、故人と身近な方であることから、会社関係や近所の方が参列する葬儀に比べて、故人や家族の考えを反映しやすい葬儀です。
また、参列する方の人数が少ないため、挨拶に時間を取られることなく、故人とゆっくりお別れすることができます。
芸能人や著名人が家族葬を行った場合、ファンもお別れができるように、日を改めてお別れ会を開くのが一般的ですが、野際陽子さんの遺志により、お別れ会は行われないそうです。
女優としての人生を全うした、野際陽子さんのご冥福をお祈りします。