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“おひょいさん”の愛称は、藤村俊二さんがいつも“ひょい”と姿を消していたことから
“おひょいさん”の愛称で親しまれた藤村俊二(ふじむらしゅんじ)さんが1月25日、心筋梗塞による心不全のため、入院先の病院で亡くなりました。82歳でした。
ドラマや映画、バラエティーでも唯一無二の存在感を放ち、多くの方から愛された藤村俊二さん。そんな藤村さんの人生を振り返ってみます。
藤村俊二さんは、1934年12月8日神奈川県鎌倉市で生まれました。演出家を志し早稲田大学第一文学部演劇学科に進学するも中退しています。
東宝芸能学校舞踊科に入学し、日劇ダンシングチーム12期生として1960年に渡欧。パリでパントマイムを学び、帰国後は振付師に転向しました。
TBSテレビで放送されていたザ・ドリフターズの大人気番組『8時だョ!全員集合』では、オープニングの振り付けを担当した藤村さん。番組のエキストラを依頼されることもあったそうです。
しかし、画面に映るのがイヤでいつの間にか「ひょい」と逃げていることから、いつの間にか藤村俊二さんに“おひょいさん”というあだ名がついたそうです。
『ぶらり途中下車の旅』や『デスノート』で声優・ナレーターとしても活躍した藤村俊二さん
とぼけたような表情と軽妙な語り口で人気を集めた藤村さんは、フジテレビ『なるほどザ・ワールド』、TBSテレビ『ぴったしカン・カン』など、数多くの人気バラエティー番組に出演しました。
俳優としてはドラマ『西遊記Ⅱ』、映画『青春喜劇 ハレンチ学園』や『ラヂオの時間』『王様のレストラン』など、三谷幸喜監督の作品に出演することも多くありました。
ダンディでどこか可愛らしい声を持つ藤村俊二さんは、声優やナレーターとしてもその才能を発揮。日本テレビ『ぶらり途中下車の旅』では、2011年から滝口順平さんの後任としてナレーターを務めたほか、テレビアニメ『黒執事』のタナカ役、映画『デスノート』のワタリ役として、若者からも人気を集めていました。
2015年12月、藤村俊二さんは「体がうまく動かない」と体調不良を訴え、『ぶらり途中下車の旅』のナレーターの降板を発表。原因不明の体調不良で入退院を繰り返していました。そこから約1年。芸能界引退も取り立たされる中での突然の訃報でした。
オシャレ、スマート、ダンディを体現した藤村俊二さん
藤村俊二さんは、つかみどころがない性格で、自由で独特な生き方をしていました。
行動や所作、身に付けるものなど、全てがオシャレで、ファッションへのこだわりは相当強かったそうです。胸元の開いたシャツにジャケットという姿が印象的でした。
女優の中村メイコさんは藤村さんのことを「とてもジェントルマンでした。日本人には珍しい感じの人だったんじゃないかと思います」とコメントしています。
口癖は「私は芸能界の箸休め」。枠に収まらずに非常に幅広く仕事をこなしていましたが、藤村さんは「タレント」と呼ばれることを嫌っていたそうです。
お酒、特にワインが大好きで南青山にワインバー『オヒョイズ (Ohyois)』という自分のお店をオープンしていました(現在は閉店)。自分の名義だけを貸すわけではなく、お店に立ってお客様を迎え入れていました。
この歳に生まれた芸能人の方で活躍した方が多かったことから、同い年の愛川欽也さん(享年80)、大橋巨泉さん(享年82)、長門裕之さん(享年77)らと、「昭和九年会」という団体を結成していました。月に1度の定例会は藤村さんの『オヒョイズ』で開かれていたそうです。
大物芸能人の相次ぐ訃報。「藤村俊二さんも」と悲しむ声が続々届く
落語家の桂文枝さん
桂文枝さんは所属事務所を通じて、追悼のコメントを発表しました。
「藤村俊二さんの訃報に接し、昭和9年会の方がまたお一人いなくなったかと寂しさでいっぱいです。おひょいさんとはいろいろと番組で一緒させていただきましたが、なんといっても『クイズ!年の差なんて』で、一緒させていただいたのが思い出深いです。
おひょいさんはさすが元ダンサーだけあって、スマートでかっこよく、とにかく全てがお洒落でした。いつも笑顔で接してくださいました。またひとり芸能界の先輩が旅立たれて寂しい限りです。合掌」
「昭和九年会」のメンバー中村メイコさん
中村メイコさんも所属事務所を通じ、仲間との別れを惜しみました。
「あの人らしく、ヒョイと姿を消した。私の唯一の気の置けないボーイフレンドでした。裕ちゃん(石原裕次郎)も長門(裕之)君も、昭和九年会の仲間が、どんどんいなくなっている。でもその代わり、私が向こうに行ったら、みんなボーイフレンドが待っていてくれるわね」
クイズ番組『ぴったし カン・カン』で共演していた萩本欽一さん
萩本欽一さんはサンケイスポーツの取材で、藤村さんへの想いを語っています。
「もっと長生きしてくれたら『神様』って言おうと思ったけど、みんなに幸せを与えてくれて偉大な神様になったんだと思う。おひょいさんは、ぼくの心の中に笑顔で生き続けています」
長男で所属事務所社長の藤村亜実さん
藤村亜実さんは、藤村俊二さんの公式サイトで、お父様に代わり、「お別れの挨拶」を掲載しました(一部抜粋)。
「父の人生を振り返ってみても、何も不安に思うことなく、いつもその『瞬間』を大事に生きていたように思います。父は、そうやって『今』を生きる方が自由で幸せだと知っていたのだと思います。その心が、あの飄々とした生き方の秘密だったのです」
密葬は近親者のみで。2月14日に「献花の会」が営まれる
藤村俊二さんは53歳で肺気泡、56歳で胃がん、64歳で大動脈瘤と、3度の手術を受けていました。晩年は療養生活を送り、何度も危険な状態を乗り越えてきました。
そんな状態でも藤村さんは周りに一切辛い姿を見せず、普通に仕事をしていたのはさすがとしか言いようがありません。
以前、藤村さんはインタビューで自身のことを「苦労は全然ないんですよ。それに僕なんかほら、どっちかっていうと壁にぶち当たっても、その壁をぶち壊すんじゃなくて、壁に開いている穴を探して、そこをすり抜けるほうでしょ」と語っています。
2月1日に営まれた藤村俊二さんの密葬には親族ら約30人が参列しました。お別れ会にあたる「献花の会」は、2月14日(火)12時から15時に、『慈雲山 長泉寺』(東京都渋谷区神宮前6-25-12)で営まれます。
藤村さんの「献花の会」は、時間内であればいつでも参列できます。平服での参列が案内されているので、喪服での参列は控えましょう。
「平服でお越しください」という案内には、「喪服ほどかしこまらずに、お別れ会という場にふさわしい服装でいらしてください」という意味が込められています。故人を偲ぶ場なので、落ち着いた服装で参列しましょう。
藤村俊二さん、心よりご冥福お祈り致します。