
エンディングプランナー
平川 雅彦
ひらかわ まさひこ
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出身地 / 世田谷区
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前職 / 不動産業
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特技 / 運転、機械いじり、日曜大工
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好きな映画 / 「ポケットいっぱいの涙」
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葬儀業界を志した理由は?
十代の頃、とても辛い出来事がありました。大切な人を亡くされた方々に、何かお手伝いできることはないかと思い、むすびすの扉を叩きました。
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実際に葬儀を経験して
感じたことは?今までいくつかのサービス業、営業のお仕事に携わってきました。今、葬儀業界でエンディングプランナーとしてお手伝いさせていただいておりますが、葬儀が終わってからのお客さまからの感謝のお言葉。それは今までの仕事では味わえないぐらいの心からの気持ちを感じます。だからこそ、常に精一杯お手伝いしております。
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仕事で心がけていることや、
こだわりは?ご家族が大切な方をどうお見送りしてあげたいか?そのことを我々がどう感じてどうすることによって、ご家族が大切な方と悔いのない別れができるのか?私が常に心がけていることは、お客様の気持ちを察することです。
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将来の目標は?
形式で終わらせるだけのお別れではなく、今の我々の取り組みが世の中に浸透し、そのことによって、日本人が大切にしてきた本来の葬儀の意味合いを取り戻したいと思います。
お手伝いした
お別れのストーリー
施行したお葬式とお別れの会をご紹介させていただきます。
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最後の振る舞い
73歳でご逝去された旦那様。 「みんなでワイワイするのが好きだったよね」と、故人様を偲ぶ声があちらこちらで聞こえます。 生前、「残ったみんなで楽しんでくれよな」とおっしゃっていたそのお言葉通り、今回のお別れの場は、お葬式らしさを超えた特別な時間になりました。 無宗教のスタイルで行われたその場では、厳かな儀式ではなく、歓談の時間が中心。故人様を思い出しながら笑顔で語り合う、まさに故人様の人柄を映し出したようなお別れのひとときでした。
- 一日葬
- 100〜150万円
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至福のとき
どうして、「幸せ」な人生だったのか。 その理由は誰にとっても当たり前で、だからこそなかなか気がつけないもの。 こだわりの強い故人様と過ごした毎日があったからこそ、幸せな人生は最後の瞬間に「至福のとき」を迎えます。
- 一日葬
- 100〜150万円
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家族の支え
93歳でご逝去されたお母様。 多くのご友人やご家族に囲まれ、生涯を通じて趣味や好きなことを楽しみながら過ごされたお姿が印象的でした。 晩年もご家族の支えがあったことで、お母様らしい日々を送られていました。 お見送りのひとときには、そんなお母様との思い出に心を馳せていただきました。
- 100〜150万円
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来世での穏やかな人生を願い
頑張って頑張り続けた故人様が来世ではもっと穏やかに過ごせるようにとご家族様の願いがありました。 そのお手伝いをさせていただきました。 そして、「妻が亡くなる翌日に亡くなりたい」と言うほど奥様を大切にされていた故人様と奥様がしっかりとご対面できるお時間をご用意いたします。
- 一日葬
- 150〜200万円
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偉大な「いごっそう」
故人様は優しく誠実な「いごっそう」 突然のお別れに、喪失感と哀惜に押しつぶされそうになる中、たしかに感じることができる故人様の偉大さ、かけがえなさ。 そして、愛情。 ご葬儀のお時間で改めて故人様と正面から向き合う、悔いのないお時間となりました。
- 家族葬
- 100〜150万円
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家族でサザエを焼いて
家族が集まる時間を何よりも楽しみにしていた父に 「身内や友達だけで見送りたい」。 父を見送る時に、真っ先に考えたことでした。 大分県出身の父は本来、寡黙でちょっと人見知り。 それでも接客業で苦労しながら家族を支えてくれたので、人生最後ぐらい、気遣いも遠慮もいらない、気心知れた家族・親戚・親しい友人だけであたたかく見送ってやりたいと思ったのです。
- 一般葬
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光りを放て永遠に
この度、ご逝去された故人様は享年48歳、あまりにも早い突然の旅立ちでした。 学生時代から仲間たちに慕われていた故人様。イケメンだけど不器用で、影日向なく努力を積みかさねる方でした。会社では縁の下の力持ち的な存在として上司からも部下からも頼りにされていたそうです。 ご急逝される前日まで、持ち前の責任感から体調がすぐれないのを押してオンライン会議にご参加された故人様。ご自宅でお亡くなりになったことで警察の案件となり、むすびすでは現場検証の立ち合いからお手伝いが始まりました。
- 一般葬
- 200万円以上〜
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父へ捧げるラブソング
学生時代に出会ったギターは趣味として、ご自身で作詞作曲し、妹様の結婚式で披露するまでに。 そして今となっては、その音色が息子様と娘様に受け継がれました。 「家族を結ぶ弦」としてギターを教えてくれたお父様。 お子様方から愛がこもった歌と生演奏でのお見送りとなりました。
- 一日葬
- 100〜150万円
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ハワイへの搭乗手続き
パッチワークキルトとハワイがお好きだった故人様は85歳で旅立たれました。 以前、むすびすで施主様のお母様のご葬儀をお手伝いさせていただいたご縁でご依頼を承りました。 ご主人様とご結婚されてから、新宿区の「高齢者ふれあい訪問相談員」として福祉のお仕事に長く従事された故人様。 困っている人を見かけると、知らない人でも気軽に声をかける朗らかでお優しい性格は、周囲から自然と慕われる存在でした。
- 一日葬
- 50〜100万円
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繋がる夫婦の絆
89歳で亡くなられた故人様。 お亡くなりになる3日ほど前に息子様が弊社へと事前相談をし、その後ご逝去。 その日は先立たれたおばあさまのご主人、おじいさまの命日と同日でした。 偶然と言えば偶然ですが、おじいさまの命日が近づくにつれ、息子様は何かを感じていたのかも知れません。
- 一日葬
- 100〜150万円
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人生のご褒美
仕事に精を出し、「人生に使っていたほとんどのお時間が仕事」と言っても過言ではない生き方をされた86歳のお父様。 それは一番大切なご家族に対して愛情表現の裏返し。 お父様の最後をご長男様、ご長女様が中心に過ごされたお時間。 ご葬儀のテーマはふるさと「赤城山(群馬県)」に囲まれたお見送となりました。
- 一日葬
- 50〜100万円
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誰もが認める功績を称えて
誰もが認める功績を遺し、自分の歴史を後世に遺し、自身の旅立ちまで2回ほど生前相談をされ、描かれたお見送り。 一家の大黒柱として家族を守り続けた方のエンディングはご家族様の胸に「誇り」として深く刻まれたお時間となりました。
- 家族葬
- 200万円以上〜
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伝えたかった言葉
毎日一緒に笑い合い、泣き、時にはぶつかり合ったお二人。 数え切れないほどの思い出、様々な表情。 あまりにも一緒にいることが当たり前。 だからこそ伝えそびれた想いがある。 言えなかった言葉。 「幸せだったよ、ありがとう」 絶対に届けなければいけないお気持ち。
- 一般葬
- 200万円以上〜
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正義を折り込んで
75歳で旅立たれたお父様。 正義感が強く、人一倍人のことを考えてこられた故人様。 一家の大黒柱として、生涯ご家族様を支えてこられた感謝と労いをご家族に馴染みのある折り紙という形でお伝えするお時間です。
- 火葬式
- 50〜100万円
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どこまでも明るく
98歳で旅立たれたお母様。 その生涯で、たくさんの方から慕われた人徳ある方でした。 非常に明るく、行動力のある人生を送った故人様のお見送りは、その生き様を1番近くで見てきたご家族が全力でお考えになりました。
- 一日葬
- 100〜150万円
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幸せなわたし
持ち前の明るさと社交性で自然と人の輪ができ、周りを虜にしてしまうお母様はいつも楽しそうでした。 家でも、外でも常に誰かと一緒にいて、幸せな空気をいつもまとっている方。 そんなお母様がいつまでも、その幸せに身を委ねていられるように周囲にも、ご家族様にも幸せが広がっていくようなお時間となります。
- 一日葬
- 150〜200万円
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完璧な母の完璧な旅立ち
「ありがとう」その言葉がご家族様から尽きることはありませんでした。 それほどまでに、頑張ってこられた故人様。 完璧なお母様へ、これまでの日々の恩返しとしての葬儀空間を作っていただきます。 お母様にふさわしいお見送りのお時間を。
- 200万円以上〜
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凛とした旅立ち
98歳になるお母様。 凛とした品格のある方だったそうです。 そんな故人様の旅立ちの身支度をご家族からも手を添えて頂き、お母様らしいお見送りをお手伝いさせていただきました。
- 一日葬
- 50〜100万円
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旅立ちのドレス姿
73歳でご逝去された奥様がこの度の故人様。 闘病生活が長く、できればもう一度最後にキリッとして歩かせてあげたかったという旦那様。 だからこそ旅立つお姿は、向こうでドレスを着て歩く奥様を感じられるように、ご夫婦にとって思い出のドレスをお柩にお手向けして頂きました。
- 一日葬
- 150〜200万円
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空への手紙
97歳でご逝去されたお母様。 お孫様や、ひ孫様の成長を楽しみに日々を送られ、自らの幸せは二の次として家族の幸せを常に願ってくれた方でした。 お孫様やひ孫様は故人様がもうお空にいると思っていらっしゃいます。 そんな故人様へご家族皆様からお空へ想いを届けていただきます。
- 家族葬
- 50〜100万円
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見送る先の幸せ
ご自身方で立ち上げられ、夫婦二人三脚でやってこられたお仕事。 晩年になってもご夫婦仲が良く、旅行にもお二人でよく行かれるなど、まるで二人で一つのような存在でした。 そんな中、旦那様が先立たれ、故人様は認知症が進行してしまいます。 晩年、楽しさを失ってしまったようなその生活に申し訳なさを覚える二人の息子様方。 見送った先にご夫婦の幸せがあると信じ、葬送の時を迎えます。
- 一日葬
- 100〜150万円
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父らしい晴れ姿での旅立ち
92歳となった父は自宅で療養をしていたのですが、高齢のため日に日に弱っていく姿を見ていると父と過ごせる時間が長くはないことを感じていました。その時を迎えた時、果たして私たちで父を無事に見送ることができるかという不安が芽生え、見送る家族の気持ちを支えてくれる葬儀社がいてくれればという思いで、いくつかの葬儀社に相談をしたことがむすびすさんとの繋がりの始まりとなりました。
- 火葬式
- 50〜100万円
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あなたのことを待っている人
お母様は人と接することが大好きな社交的な性格でした。 22年前にご主人様を亡くされてからは、少女時代に通われていた裁縫学校の頃を思い出すかのように、編み物、手芸、墨絵、詩吟など、沢山の趣味を通して多くのご友人と交流を深められました。
- 一日葬
- 50〜100万円
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桜の季節に
大好きな桜の開花を前に83歳で旅立たれた故人様。 そのことで逆に「桜の時期を迎えるたび、きっと母のことを思い出すでしょう」とお二人の娘様はおっしゃいました。桜の季節を迎えるたびに、大好きなお母様の姿が感じられる最後のお別れの場となりました。
- 一日葬
- 100〜150万円
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一に気遣い 二に気遣い
晩年、人生のほとんどを過ごされた関西を離れ、東京のご長女様のご家族と一緒にお暮しになられた故人様。 祭壇を飾るメモリアルスクリーンには、しっかりと送り出してあげたいというご家族様の想いを込めて、故人様が長年住まわれた奈良県のご実家のお写真を中心に、お人柄の偲ばれるスナップを散りばめました。
- 一日葬
- 50〜100万円
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わが生涯に悔いなし
故人様は奥様とご結婚された当時から、「会社を55歳で辞めて後の人生は楽しく暮らす」とおっしゃっていたそうです。 その言葉どおり大手精密機器メーカーを55歳で早期退職されてから82歳でご逝去されるまで、趣味の絵画を描き、大学の友達と終生にわたって交流し、楽しく充実した日々を過ごされました。
- 一日葬
- 50〜100万円
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愛と華
社交的で明るいお人柄で誰からも愛された故人様。趣味は社交ダンス、足を悪くされてから始めた水泳もみるみる上達されたそうです。 晩年、よくお聴きになっていた音楽は演歌……ではなく、ソウル界のレジェンド“JB”こと、ジェームス・ブラウンのファンク・サウンドでした。
- 一日葬
- 50〜100万円
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思い出よ『涙そうそう』
ほんの1ヵ月前までお元気に過ごされていた故人様。 ご本人もご家族も予期せぬご逝去でした。 経営者として人生を謳歌された故人様は、野球、麻雀、スキー、ゴルフ、旅行など若かりし頃から好奇心旺盛で行動力のある方でした。
- 一日葬
- 200万円以上〜
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大いなる生涯
百寿を超える102歳という長く尊い生涯に幕を閉じられた故人様。 喪主を務めるご長男様をはじめとする三人のお子様たちは、激動の時代を生き抜いてこられたお母様を、お身内のみで穏やかに送り出してあげることを望まれました。
- 一日葬
- 150〜200万円
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サクセスストーリー
ご主人様と夫婦二人三脚で貴金属アクセサリーの装飾業を50年間に渡って営んでこられた故人様。ご夫婦仲がとても良くて、職場でも家庭でも四六時中ご一緒に過ごされたそうです。 その最愛のご主人様は昨年4月にご逝去されましたが、ご家族は故人様の体調を深慮して、ご主人様がお亡くなりになったことを最期までお伝えしなかったそうです。 ご長男様は、「天国で父と再会したら、きっと母は驚くでしょうね」と仰いました。
- 一日葬
- 150〜200万円
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笑顔を再び
84歳で旅立たれた故人様は大正琴の師範。 流行歌から邦楽まで多彩な楽曲を演奏して楽しまれていたそうです。 3年前にご主人様のお別れをお手伝いさせていただいたご縁でご依頼をいただきました。 施主を務められたご長女様から、「両親は仲睦まじい夫婦で、母はいくつになっても父のことを“ちゃん付け”で呼んでいました」と教えて下さいました。
- 家族葬
- 150〜200万円
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我が家の太陽
94歳で旅立たれた故人様。奇しくも15年前に他界されたご主人様のお誕生日でした。 とにかく明るいご性格だったという故人様は、ご家族にとって太陽のような存在。 ご家庭でもご近所でも故人様を慕って人が集まりました。 介護施設にご入居されてからも面倒見の良さは変わることなく、故人様のまわりはいつも笑顔と笑い声に満ちていたそうです。
- 一日葬
- 100〜150万円
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天国での幸せを願って
93歳で旅立たれた故人様。 ご主人様を亡くされてから大腿骨を2度骨折されて、歩行が困難になったことから晩年は施設でお暮しでした。 施設では癒し系の楽しい性格から、ちょっとしたアイドル的な存在でした。 ご逝去後にそれを知ったご家族はとても驚かれたそうです。 「コロナ禍の面会制限でなかなか会うことは出来なかったけれど、やれることは全てやり尽くしました」と喪主を務めるご次女様はおっしゃいました。
- 一日葬
- 100〜150万円
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